『蜘蛛と百合』横溝正史
「俊助の友人で、類い希なる美貌の男・瓜生が
何者かに刺殺される。
瓜生は最近、妖艶な女性・百合枝とつきあい始めていたことがわかる。
三津木俊助は百合枝に接近し、事件の真相を暴こうとする。
ところが俊助もまた彼女の魅力に酔い…。」
資本になるような容貌たる美少年が、登場するも殺されてしまう。
美少年を愛するボーイッシュな美少女は、醜悪な殺人鬼の毒牙にかかってしまうのだった。
男性と女性、男性的な女性と女性的な男性がいる。それが戦前からの小説に書き分けられていたのに、作家の視点があっのだろう。
《18〜9の、男の子のように手脚ののびのびとした、挙動なども活発で、口の利きかたも爽やかな少女というよりも少年といったほうが相応しそうな、それでいてもう二、三年もすると、素晴らしい美人になると思われるような女なのである。》 (本書ト書きより〉
蜘蛛が生命を危めるような描写は、怪しく幻想的でもある。由利先生が神業的な推理と透視能力予知能力や超人的活躍をするなど、戦後の本格的探偵小説とは異なる浪漫溢れるミステリーとなっている。
「人相はおろか、手相、家相、失せ物、縁談、男女の相性、なんでも一式やるのがこの由利麟太郎だ。妖気は丑寅の方角にありかな。あははははは危きかな。危きかな」
横溝正史が本格推理劇に取り組んでいた初期の頃に書かれた探偵小説。
猟奇性よりも絢爛な浪漫世界が堪能される。
宝塚のような総天然色の映画を想い浮かべた。
現在は『蝶々夫人殺人事件』の文庫本かKindleに収録されている。