日曜美術館【アートシーン】
「大ゴッホ展 夜のカフェテラス」〜2026/2/1 神戸市立博物館
▼「アール・デコとモード」〜2026/1/25 三菱一号館美術館
▼「喜多川歌麿と栃木の狂歌」〜12/14 栃木市立美術館
▼「川口起美雄 Thousands are Sailing」〜2026/2/1 神奈川県立近代美術館 鎌倉別館
▼「生誕100年 ASAKURA Kyoko」〜12/14 朝倉彫塑館
▽ Eテレ 11月30日(日) 朝9:45
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川口起美雄 Thousands are Sailing | 神奈川県立近代美術館The Museum of Modern Art, Kamakura & Hayama
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川口起美雄 略歴
1951年、長崎県生まれ。1974年に渡墺。オーストリア国立ウィーン応用美術大学にてヴォルフガング・フッターに師事し、北方ルネサンスの古典技法を研究。テンペラ絵具と油絵具の混合技法を習得する。1977年に帰国し、翌年、青木画廊(東京)で初の個展を開催。1985年から翌年にかけて、文化庁在外研修員としてウフィッツィ美術館修復室でイタリア・ルネサンスの技法を学ぶ。1987年、第30回安井賞展で佳作賞を受賞。2002年に池田20世紀美術館、2015年に平塚市美術館、2021年に武蔵野美術大学 美術館・図書館で個展を開催。2013年から2022年まで武蔵野美術大学造形学部油絵学科の教授を務めた。
川口起美雄 Thousands are Sailing
ソース: 美術展ナビ
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ソース: 神奈川県立近代美術館 | The Museum of Modern Art, Kamakura & Hayama
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油彩画家・川口起美雄の特徴は、古典技法と幻想的な画面にあります。その透き通った画面は、ブリューゲルやボッシュなど15世紀のオールドマスターに学んだ、テンペラと油彩の混合による古典技法の徹底した追究に裏打ちされています。また、調和の取れた構図には、宙に浮かぶ船や隕石、水面に見立てられた芝生などが描かれ、時間の流れや現実の空間を転倒させた幻視の風景が広がっています。
10cm×10cm程度の小品「ミニアチュール」フッターらの影響を受けた幻想的表現と、日本ではめずらしい古典技法を自在に操った独自の具象表現。
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「『怪物のユートピア』を推す
澁澤龍彦
種村季弘の思想の核は、一言でいえば、この本の表題になっている「怪物のユートピア」という言葉に端的に示されているごとく、アンチ・ヒューマニズムに立脚したユートピア待望の情念である。すなわち人間は変身しなければならず、この世は顚倒されなければならない、――これが彼の信念だ。」
『怪物のユートピア』種村季弘
【目次】
怪物のユートピア――ミノタウロスから怪獣映画まで
Ⅰ
ジョン・フランケンハイマー論――あるいは物質の喜劇からの逃亡
催眠術師とあやつり人形――『怪人マブゼの挑戦』と怪奇映画の系譜
管理社会のなかの永久革命者――ロマン・ポランスキー『水の中のナイフ』
映像死滅理論の魔笛奏者――フェリーニ『8 1/2』
不条理演劇と現代映画――F・デュレンマット『老貴婦人故郷へ帰る』の映画化をめぐって
仮面劇の復活――トニー・リチャードソン『ラブド・ワン』
失楽園から星雲都市まで――SF映画論
土に溶ける機械文明――ケネス・アンガー『スコピオ・ライジング』
換骨奪胎の思想――ベルイマン『ペルソナ』の詐術
Ⅱ
石堂淑朗――ある巨人症の蟻の想い出
吉田喜重――幻花の栽培者
鏡が死児を育てる――吉田喜重『情炎』
花と暗黒世界との隠し通路――鈴木清順『河内カルメン』
偽りと解放軍思想との間――加藤泰『骨までしゃぶる』
滅亡愛の楽園――若松孝二『胎児が密猟する時』
「存在と無」から「存在と十円」へ――中島貞夫『任侠柔一代』
怪奇映画の早すぎた埋葬――中川信夫『東海道四谷怪談』
暗殺者たちのポートレート――わが暴力論
大衆映画は旧態を墨守せよ――ヒーローについて
恐怖を飼う市民たち――ヒューマニズムについて
Ⅲ
巨人ゴーレムの謎――大地崇拝から終末論の恐怖へ
肉体について――性的消費と畸型の肉体
フランツ・カフカ――ある迷路体験
マニエリスムの発見――G・R・ホッケ『迷宮としての世界』をめぐって
マニエリスム文学の復権――G・R・ホッケ『文学におけるマニエリスム』をめぐって
悲喜劇の出生――F・アラバールと迷宮演劇
退化人間の処刑場――『ゲルニカ』と『迷路』
アンチ・エロチカーの世界――若年様式と老年様式と
F・フェリーニの白い文章体――『8 1/2』をめぐって
あとがき
【本書より】
「怪物のユートピア」
「怪物が実生活を支え、実生活が怪物を必要としていたこのいわば幸福な関係は、近代科学の登場によって全面的に破壊された。近代の動物学と進化論は、すべての怪物を進化系統樹の中へと分解還元してしまう。怪物はそこでは生物学的不可能として説明される一方で、整然たる分類項の中に生体解剖されたまま封じこめられてしまう。精神分析が幅をきかせている間に、想像力は系統樹の無限に分枝する分解運動の中で、かつての果敢な冒険の夢を見失う。」
「ゴジラやガメラのような古典的な怪獣のように、それ自身の存在だけで禁制侵犯の恐怖でも誘惑でもあった怪物が、善神と悪しき巨人(獣)に分れて戦うギガントマシーの二元論に分裂していくのは、あるいはもはや怪獣物の衰弱現象を物語っているのかもしれない。それにしても、これらの白日の下にさらされた意識下の純粋な力学が猫かぶりの人情劇などより数等高級な代物であることに変りはなく、さればこそテレビ嫌いのわたしでさえも、機会さえあればこれを見逃したことはない。」
この「苦痛の道具」である鉄の甲冑(中世の拷問器具「鉄の処女」を思い浮べるがよい)や狭苦しい密室が、いかにしてマゾシックな快楽の道具に転化するかを、さらにオットー・ランクはあざやかに指摘している。
「マゾヒズムは、出産の疼痛(叩かれる空想)の快適な感覚への転換である。これはマゾヒズム的空想の他の典型的な要素からも理解できる。たとえばよくみられる緊縛の空想は、子宮内における運動不能な快楽状態の部分的な再現である。」
「いわば母たちにかこまれて眠気を催すような胎生の単調で安逸な安息の中に漂っている同じ瞬間に、この天国的な環の外側にはさらにもうひとつの環があって、彼は父たちの暴力に裸でさらされているのだ。」
「狭い産道の彼方には父と母。そこに「外部」があるなら、それはあまねく父の権力が支配する専制世界にほかならない。したがって、単に外界に出て行くことは、母の子宮の環から父の力の環に移行することにすぎないはずだ。「外部」への誕生が解放を意味するためには、誕生が同時に父親殺しでなければならないことになる。」
「だが、人間的感覚の不在にもかかわらず、いやまさにそれゆえに、自動人形は高次の可能性をはらむ特権的存在であることを銘記してほしい。自動人形崇拝の歴史は古い。すでに百五十年前、ハインリッヒ・フォン・クライストは、マリオネット(物質)や熊(動物)や子供のような、蒙昧な、それゆえに天使的に無垢な存在の、反省意識にたえず干渉される人間にたいする優越を語っている。「有機的世界では反省意識が晦冥をきわめ、弱まればそれだけ、ますます優美さが燦然とたちあらわれるのです。」(『マリオネット芝居について』)
物質や動物や幼児の条件反射的な行動の正確さが、人間的誤謬にみちみちた成人行動にたちまさること数倍であるのは、ことわるまでもない。」
奔放に生きたヘンリーミラーのさまざまな名言から、21+0に配列して並べてみて、マルセイユ版タロット世界を想起する試みです。
1「行く先は決して場所などではなく、物事の新たな見方である。」
2「明らかな事実でも意味のないことがあるから、人生は、意味を与えてもらわなくちゃいけない。」
3「何かに注意を向けた瞬間、たとえ草の一葉であろうとも、それは神秘的で、荘厳で、言葉では表すことのできない崇高な世界に変わる。」
4「与えることと受けることは結局同じことで、その人が開かれた生き方をしているか閉じた生き方をしているかによる。」
5「思えば、ひたすら自らの欲望のおもむくままに事をなし、果実を手に入れてきた。私にとって現実はつねに彼方にあり、理想がその手前にある。理想を追い続けていれば、それが現実になって、事をなすことができるのだ」
6「囚人とは罪を犯した者ではなくて、自分の罪にこだわり、それを何度も繰り返して生きている人間のことだ。」
7「想像は大胆不敵な声だ。もし神に関して何か神にふさわしいことがあるとするなら、想像がそうだ。彼は敢然とすべてを想像した。」
8「大切なのは、けっして不安になりすぎないこと。すべてのことは、時がくればうまくいく。」
9「どうにも動きようがなくなった時でさえ、人生は、常に新しい資本と材料を我々に与えてくれます。人生の元帳には、凍結資産など」
10「過去にしがみついて前進するのは、鉄球のついた鎖を引きずって歩くようなものだ。」
11「安全な道を求める人は、痛みを(自分に)与えることのない義手義足に取り替えるために自分の手足を切り離す人みたいなものである」
12「人はみな自分の運命を持っている。唯一やれることは、どんな結末になろうと、それに従い、受け入れることなのだ。」
13 「あらゆる出来事は、もしそれが意味を持つとすれば、それは矛盾を含んでいるからである。」
14「与えることと受けることは結局同じことで、その人が開かれた生き方をしているか閉じた生き方をしているかによる。」
15「囚人とは罪を犯した者ではなくて、自分の罪にこだわり、それを何度も繰り返して生きている人間のことだ。」
16「恐怖心や愛国心によって人を殺すのは、怒りや貪欲によって人を殺すのとまったく同じく悪い。」
17「開かれた生き方をしている人は媒体となり発信器となる。そして川のように、人生を充分に生き、命の流れとともに流れ、海として」
18「想像は大胆不敵な声だ。もし神に関して何か神にふさわしいことがあるとするなら、想像がそうだ。彼は敢然とすべてを想像した。」
19「女をかまいつけないようにすればするほど、女はあとを追いまわす。女には何かしら片意地なところがある。」
20「いくら受け取っても十分でないもの、それは愛である。いくら与えても十分でないもの、それも愛である。」
21「金もないし、頼りになる人もいないし、希望もない。しかし、私は生きているから最高に幸せだ。」
0「明らかな事実でも意味のないことがあるから、人生は、意味を与えてもらわなくちゃいけない。」
1から11までが『北回帰線』ならば、
12から21までが『南回帰線』となるだろう。円環にする0が最期と最初を繋いでいる。
ヘンリー・ミラー(Henry Valentine Miller, 1891年12月26日 - 1980年6月7日)
アメリカ合衆国の小説家。 ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン区にカトリックのドイツ系アメリカ人の家で生まれた。父親は仕立て職人。ブルックリン区ウィリアムズバーグで育つ。ニューヨーク市立大学シティカレッジを中退。 1931年、シカゴ・トリビューンでの仕事を得る。
職業を転々としたのち、ヨーロッパを放浪。1934年、自伝的小説『北回帰線』をパリにて発表。しかし本国アメリカでは、その奔放な性表現により発禁になる。
「蔦重を恋する気持ちは〝自分こそが一番〟だ」と、歌麿は、ずっと思っていたのに‥‥。
「出家する」とまで言ったおていに、歌麿は「ウソだね」と返す。
蔦重と図った〝芝居〟の一部だと感じたから。
でも直後、おていは、とんでもないことを言い出す。
「歌麿と蔦重にしか描けない未来が見たい」と。
そもそも、歌麿が離れた理由は、子を授かる幸せを見せつけられた時、自分の〝恋心〟は成就しないと、諦めたからだった。
実らない〝恋心〟だと分かりながら、相手を見守り続けるのは辛い。
今回のおていの急襲、歌麿からすれば、
〝恋敵〟が家にまでやってきて、わざわざ目の前で「私の愛は、あなたより強い!」と宣言しているようなものだ。
歌麿は、おていに呆れた。
そして、蔦重を想う気持ちの強さに「負けた」と思ったに違いない。
でも、おていの今の辛さを、一番理解できるのも、歌麿だ。おていの〝恋心〟が誰よりも分かる。
だからこそ、逆に、蔦重への〝恋心〟に、素直に立ち返ることができた。
浮世絵の世界で、絵師として、蔦重の想いを受け止められるのは、私だけだだったんだと。その想いこそが、〝恋心〟の正しい姿だったのだと。
おていが歌麿にしたことは、〝懇願〟でも〝説得〟でもない。
同じく蔦重に〝恋心〟を抱きながらも、どこか空しさを抱えざるを得ない、そんな者同士だからこそできる、心からの〝癒し〟だったんだ。
かつては、仕事の上とはいえ、蔦重と歌麿の親密さに遠慮し、嫉妬していたであろうおていさん‥‥。
子を失った今、歌麿の今の気持ちが、手に取るように分かったんだと、そんなふうに思えた瞬間。
歌麿の復活は、おていさんにとっても、悲しみからの完全復活、いや、〝本屋おてい覚醒〟の瞬間だったのかもしれません。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
<べらぼう>写楽の“正体”の“最後のピース”埋まる!? ついに歌麿が“帰還”…ラストシーンに「ゾクゾク」っときた!!(MANTANWEB)
「源内風の役者絵」作りは、蔦重の中で「明確な絵」が描けていなかったことから、事はうまく進まず、重政(橋本淳さん)ら絵師との間に軋轢が生じてしまう。
思いなやむ蔦重の姿を見かねて、歌麿(染谷将太さん)のところを訪ねるてい(橋本愛さん)。ていは、蔦重と歌麿、二人の男の業と情、因果の果てに生み出される絵というものを見たいと“本音”を明かし、歌麿をついに揺り動かした。
ソース: Yahoo!ニュース
『機動戦士ガンダム』のキャラクターデザイナー 兼アニメーションディレクターを務めたことで知られる安彦良和さんの回顧展が11月18日、渋谷区立松濤美術館で開幕しました。安彦さんは『アリオン』『ヴイナス戦記』などの漫画家兼アニメ監督として、『ナムジ-大國主-』『虹色のトロツキー』『王道の狗』などの歴史漫画家としても足跡を残してきました。壮大な仕事には一見の価値があります。
| 描く人、安彦良和 |
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| 会場:渋谷区立松濤美術館(東京都渋谷区松濤二丁目14番14号) |
| 会期:2025年11月18日(火)~2026年2月1日(日) 展示替えあり。前期は12月21日まで、後期は12月24日から |