イラストレーターでコラムニストの渡辺和博氏(ナベゾ)は、稀有な才能をもって「若者文化」のトップを切っていた人であるけれども、病いを得て数年の間、その活躍の分野を限定していた。
1950年(昭和25年)、広島県広島市に生まれる。運動神経は鈍かったものの、子供の頃からメカ好き、オートバイ好きであった。崇徳高等学校在学時に二輪免許を取得し、自動車雑誌の購読も始めた。
1968年(昭和43年)、上京して東京綜合写真専門学校に入学。カメラマンを目指していたが中退し、1972年(昭和47年)に現代思潮社が開いた美学校(東京・四谷)へ入学し、赤瀬川原平に師事する。渡辺の渾名となる「ナベゾ」は、赤瀬川による講義の題材だった、宮武外骨による『滑稽新聞』のヘタウマな絵師「なべぞ」に由来している。
1975年(昭和50年)、美学校の先輩である南伸坊の誘いで青林堂に入社。漫画誌『月刊漫画ガロ』の編集者となり、南とともに面白ければ漫画という表現に囚われぬという誌面作り(面白主義)を打ち出し、『ガロ』の傾向を変える。
同年、南の薦めにより『ガロ』8月号掲載の「私の初体験」で漫画家としてデビュー。
その後はエロ本や、自販機本『Jam』『HEAVEN』などでも漫画を執筆。1980年(昭和55年)の『ガロ』9月号には「毒電波」という電波攻撃の被害に苦しむ人を描いた漫画を発表し、創作における「電波系」の先駆けとなった。
南の退社後は『月刊漫画ガロ』 の編集長を1年半務めたが、自らも青林堂を退社。
フリーとなり、独得の「ヘタウマ」漫画と面白エッセイで、多くの雑誌にコラムの連載を持った。
また、自らがオートバイ愛好家であることを活かし、1983年(昭和58年)にCBSソニー出版が日本語版を創刊することになったアメリカの老舗オートバイ雑誌「CYCLE WORLD」の中でも連載コラムとその挿絵を担当した。
1984年(昭和59年)、コピーライター、イラストレーター、ミュージシャンなど“横文字職業”にある人々のライフスタイルを鋭く観察した『金魂巻』を発表。「一億総中流」と言われた当時、行動すべてがプラス方向に向かい高収入を得られる金持ち「○金」(まるきん)、行動がすべて裏目に出ていつまでも底辺にいる=貧乏な「○ビ」(まるび)を対比させ、その典型像を図解し、同じ職業の中に存在する階層差・所得格差を戯画化した同書はベストセラーとなり、「○金・○ビ」は同年の第1回流行語大賞を受賞した。
1985年(昭和60年)、『笑っていいとも!』(フジテレビ)に1年間レギュラー出演。
また、また、自動車雑誌「NAVI」には創刊から連載コラムを持ち、開始時のタイトルは「やっぱり自動車は面白い」で、その後、市井の車好きに話を聞く連載「みんな自動車が好き」になった。
その連載3回目で、自動車趣味の人を表現する言葉「エンスー」(エンスージアストの略)を発明。
ソース: HB Gallery Online Shop
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1989年(平成元年)からはコラムが「エンスーへの道」となり、連載は1997年(平成9年)3月号まで続いた。
1994年(平成6年)には書籍『エンスー養成講座』が刊行。これらの活動により、「エンスー」という言葉は世間に広まった。
2003年(平成12年)、肝臓癌の診断を受ける。入院後も病室にノートパソコンを持ち込み、治療と仕事を両立。さらに、医者や看護師の実態から患者のおかしな生態までを独自の観察眼で綴った闘病記録「病院観察記録」として『キン・コン・ガン!―ガンの告知を受けてぼくは初期化された』を刊行した。
2005年(平成17年)には妻から生体肝移植をうけるが、2006年(平成18年)に癌が再発。癌は後頭部まで転移し、右目は痺れて見えなくなっていた。それでも、友人である嵐山光三郎の原稿を読み、右手だけでイラストを描き続けた。2007年(平成19年)2月6日午前1時46分、肝臓癌のため東京都新宿区の病院にて死去。享年56。














