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燐寸図案

  • 実用燐寸
    実用燐寸レッテルには様々な図案があります。 ここにはコレクション300種類以上の中から、抜粋して100種類ほど公開する予定。 主に明治、大正、昭和初期時代の燐寸レッテルの図案。

ペンギンタロットの原画

  • 0の愚者から21の宇宙(世界)まででひとつの話が結ばれる
    兆しを理解して現実なるものを深くたのしく感知する訓練カードです。 タロットを機能させるには慣れ親しむことからはじまります。 まだ目には見えていない物事や潜在的な事柄を導き出す道具でもあります。 各アイコンをクリックすると、21のカードが観れます。
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2026年8月31日 (月)

イラストレーターでコラムニストの渡辺和博氏(ナベゾ)は、稀有な才能をもって「若者文化」のトップを切っていた人であるけれども、病いを得て数年の間、その活躍の分野を限定していた。

1950年(昭和25年)、広島県広島市に生まれる。運動神経は鈍かったものの、子供の頃からメカ好き、オートバイ好きであった。崇徳高等学校在学時に二輪免許を取得し、自動車雑誌の購読も始めた。

1968年(昭和43年)、上京して東京綜合写真専門学校に入学。カメラマンを目指していたが中退し、1972年(昭和47年)に現代思潮社が開いた美学校(東京・四谷)へ入学し、赤瀬川原平に師事する。渡辺の渾名となる「ナベゾ」は、赤瀬川による講義の題材だった、宮武外骨による『滑稽新聞』のヘタウマな絵師「なべぞ」に由来している。

1975年(昭和50年)、美学校の先輩である南伸坊の誘いで青林堂に入社。漫画誌『月刊漫画ガロ』の編集者となり、南とともに面白ければ漫画という表現に囚われぬという誌面作り(面白主義)を打ち出し、『ガロ』の傾向を変える。

同年、南の薦めにより『ガロ』8月号掲載の「私の初体験」で漫画家としてデビュー。

その後はエロ本や、自販機本『Jam』『HEAVEN』などでも漫画を執筆。1980年(昭和55年)の『ガロ』9月号には「毒電波」という電波攻撃の被害に苦しむ人を描いた漫画を発表し、創作における「電波系」の先駆けとなった。

南の退社後は『月刊漫画ガロ』 の編集長を1年半務めたが、自らも青林堂を退社。

フリーとなり、独得の「ヘタウマ」漫画と面白エッセイで、多くの雑誌にコラムの連載を持った。

また、自らがオートバイ愛好家であることを活かし、1983年(昭和58年)にCBSソニー出版が日本語版を創刊することになったアメリカの老舗オートバイ雑誌「CYCLE WORLD」の中でも連載コラムとその挿絵を担当した。

1984年(昭和59年)、コピーライター、イラストレーター、ミュージシャンなど“横文字職業”にある人々のライフスタイルを鋭く観察した『金魂巻』を発表。「一億総中流」と言われた当時、行動すべてがプラス方向に向かい高収入を得られる金持ち「○金」(まるきん)、行動がすべて裏目に出ていつまでも底辺にいる=貧乏な「○ビ」(まるび)を対比させ、その典型像を図解し、同じ職業の中に存在する階層差・所得格差を戯画化した同書はベストセラーとなり、「○金・○ビ」は同年の第1回流行語大賞を受賞した。

1985年(昭和60年)、『笑っていいとも!』(フジテレビ)に1年間レギュラー出演。

また、また、自動車雑誌「NAVI」には創刊から連載コラムを持ち、開始時のタイトルは「やっぱり自動車は面白い」で、その後、市井の車好きに話を聞く連載「みんな自動車が好き」になった。

その連載3回目で、自動車趣味の人を表現する言葉「エンスー」(エンスージアストの略)を発明。

ソース: HB Gallery Online Shop

http://hbgallery.shop-pro.jp/?pid=40104360

1989年(平成元年)からはコラムが「エンスーへの道」となり、連載は1997年(平成9年)3月号まで続いた。

1994年(平成6年)には書籍『エンスー養成講座』が刊行。これらの活動により、「エンスー」という言葉は世間に広まった。

2003年(平成12年)、肝臓癌の診断を受ける。入院後も病室にノートパソコンを持ち込み、治療と仕事を両立。さらに、医者や看護師の実態から患者のおかしな生態までを独自の観察眼で綴った闘病記録「病院観察記録」として『キン・コン・ガン!―ガンの告知を受けてぼくは初期化された』を刊行した。

2005年(平成17年)には妻から生体肝移植をうけるが、2006年(平成18年)に癌が再発。癌は後頭部まで転移し、右目は痺れて見えなくなっていた。それでも、友人である嵐山光三郎の原稿を読み、右手だけでイラストを描き続けた。2007年(平成19年)2月6日午前1時46分、肝臓癌のため東京都新宿区の病院にて死去。享年56。

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2026年8月15日 (土)

イラストライター渡辺和博くんについて

イラストレーターでコラムニストの渡辺和博氏(ナベゾ)は、稀有な才能をもって「若者文化」のトップを切っていた人であるけれども、病いを得て数年の間、その活躍の分野を限定していた。


ソース: HB Gallery Online Shop

http://hbgallery.shop-pro.jp/?pid=40104360


1950年(昭和25年)、広島県広島市に生まれる。運動神経は鈍かったものの、子供の頃からメカ好き、オートバイ好きであった。崇徳高等学校在学時に二輪免許を取得し、自動車雑誌の購読も始めた。

1968年(昭和43年)、上京して東京綜合写真専門学校に入学。カメラマンを目指していたが中退し、1972年(昭和47年)に現代思潮社が開いた美学校(東京・四谷)へ入学し、赤瀬川原平に師事する。渡辺の渾名となる「ナベゾ」は、赤瀬川による講義の題材だった、宮武外骨による『滑稽新聞』のヘタウマな絵師「なべぞ」に由来している。

1975年(昭和50年)、美学校の先輩である南伸坊の誘いで青林堂に入社。漫画誌『月刊漫画ガロ』の編集者となり、南とともに面白ければ漫画という表現に囚われぬという誌面作り(面白主義)を打ち出し、『ガロ』の傾向を変える。

同年、南の薦めにより『ガロ』8月号掲載の「私の初体験」で漫画家としてデビュー。

その後はエロ本や、自販機本『Jam』『HEAVEN』などでも漫画を執筆。1980年(昭和55年)の『ガロ』9月号には「毒電波」という電波攻撃の被害に苦しむ人を描いた漫画を発表し、創作における「電波系」の先駆けとなった。


南の退社後は『月刊漫画ガロ』 の編集長を1年半務めたが、自らも青林堂を退社。

フリーとなり、独得の「ヘタウマ」漫画と面白エッセイで、多くの雑誌にコラムの連載を持った。

また、自らがオートバイ愛好家であることを活かし、1983年(昭和58年)にCBSソニー出版が日本語版を創刊することになったアメリカの老舗オートバイ雑誌「CYCLE WORLD」の中でも連載コラムとその挿絵を担当した。

1984年(昭和59年)、コピーライター、イラストレーター、ミュージシャンなど“横文字職業”にある人々のライフスタイルを鋭く観察した『金魂巻』を発表。「一億総中流」と言われた当時、行動すべてがプラス方向に向かい高収入を得られる金持ち「○金」(まるきん)、行動がすべて裏目に出ていつまでも底辺にいる=貧乏な「○ビ」(まるび)を対比させ、その典型像を図解し、同じ職業の中に存在する階層差・所得格差を戯画化した同書はベストセラーとなり、「○金・○ビ」は同年の第1回流行語大賞を受賞した。

1985年(昭和60年)、『笑っていいとも!』(フジテレビ)に1年間レギュラー出演。

また、また、自動車雑誌「NAVI」には創刊から連載コラムを持ち、開始時のタイトルは「やっぱり自動車は面白い」で、その後、市井の車好きに話を聞く連載「みんな自動車が好き」になった。

その連載3回目で、自動車趣味の人を表現する言葉「エンスー」(エンスージアストの略)を発明。

1989年(平成元年)からはコラムが「エンスーへの道」となり、連載は1997年(平成9年)3月号まで続いた。

1994年(平成6年)には書籍『エンスー養成講座』が刊行。これらの活動により、「エンスー」という言葉は世間に広まった。

2003年(平成12年)、肝臓癌の診断を受ける。入院後も病室にノートパソコンを持ち込み、治療と仕事を両立。さらに、医者や看護師の実態から患者のおかしな生態までを独自の観察眼で綴った闘病記録「病院観察記録」として『キン・コン・ガン!―ガンの告知を受けてぼくは初期化された』を刊行した。

2005年(平成17年)には妻から生体肝移植をうけるが、2006年(平成18年)に癌が再発。癌は後頭部まで転移し、右目は痺れて見えなくなっていた。それでも、友人である嵐山光三郎の原稿を読み、右手だけでイラストを描き続けた。2007年(平成19年)2月6日午前1時46分、肝臓癌のため東京都新宿区の病院にて死去。享年56。

2026年8月14日 (金)

「綺譚社」という出版社があった。

「綺譚社」という出版社があった。

フリー編集者の秋山協一郎さんが主催する、刊行物は嗜好が十割くらいの内容。

高野文子さんが電話番をしてた会社。

南伸坊さんの友人であったことから、秋山さんの軽井沢別荘へ、赤瀬川さんとロイヤル天文同好会で合宿させていただきました。

Apple Paradise: OTOMO KATSUHIRO: Illustrations: Kitan (1980-81)


雑誌『綺譚』には安彦良和さんの似顔絵イラストが、南伸坊さんによって描かれている。参考写真をサンライズ作画スタジオに、撮影に来たことを覚えて不思議な御縁を感じるなぁ。

https://share.google/is5XL5PQaiCTeZddW

2026年8月 9日 (日)

【千円札裁判押収品目録】作家名: 千円札事件懇談会 作家詳細 ; 制作年: 1967

【千円札裁判押収品目録】

かつて美術教室で、無料で配布されていた。ネットで検索してら33万円している。

授業料年間18万円だったんで、凄いサービス超過してました。受講生20名に合憲660万円の美術品を。

他にもハイレッドセンターの印刷物など、今となっては貴重な資料も惜しげもなく配られてました。そして金銭では還元できないほど、実にとんでもなく、くらくらする白昼夢のように素晴らしいアート内容でありました。


千円札事件懇談会 - 東京国立近代美術館

https://share.google/4FmppcI93TwyOrh2y


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赤瀬川原平記。ハイレッド・センターからトマソンまで、現代アート界の風雲児を追う | nostos books ノストスブックス

https://share.google/VsGxBTdMEqM0nporZ


Yahoo!オークション - 赤瀬川原平プリント「千円札裁判押収品目録」 

https://share.google/7Q5o3rpRaZwEcTXHI


千円札裁判について 美術手帖

https://share.google/wQxL76KZknhgOq6bX


《千円札裁判押収品目録 ; 作家名: 千円札事件懇談会 作家詳細 ; 制作年: 1967 ; 素材・技法: オフセット.》

高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之の各氏が参加。千円札事件懇談会は川仁宏さんが代表。

観ればみるほどに、アートと表現について犯罪がぎりぎりに、接触していて令和の美術にはない過激にして、愛嬌あるユーモアな世界がある。

読売アンデパンダンの破壊的なオブジェについて、感銘していた自分にはお宝です。


師匠の若き時のオブジェ作品「模型千円札」

これがニセ千円札事件と、刑事裁判となる元とは。驚きの〈千円札裁判〉が法廷で繰り広げられた。


2026年8月 2日 (日)

川仁宏(かわに ひろし、昭和8年(1933年)6月19日 - 平成15年(2003年)2月5日 )は、編集者、思想家、パフォーマンスアーティスト。

東京都新宿区に生まれ、慶應義塾大学仏文科卒。 

1950年代から、政治的な公然、非公然なものまで多種多様な活動に参加する傍ら、前衛パフォーマンスを実践した。中でも中西夏之、高松次郎らと共に行った「山手線事件(電車内での攪拌)」というハプニングは後のハイレッド・センターへと繋がるプレ・イヴェントとして名高い。 

* 1960年、谷川雁が組織した大正行動隊に参加。

* 1962年、山口健二と松田政男が企画、谷川雁、吉本隆明、埴谷雄高、黒田寛一らを講師とした自立学校に参加。

* 1964年、赤瀬川原平のいわゆる「千円札事件」では事件懇談会事務局長を務め、法廷でのパフォーマンスを実現。

* 1965年、山口健二と松田政男が結成した東京行動戦線に参加。東京行動戦線はベトナム義勇軍としてベトナム渡航を企てるなどした。

* 1969年から、現代思潮社の企画部次長、編集長を務め、赤瀬川原平をはじめ、唐十郎や笠井叡らの著作出版、稲垣足穂の全集、デリダやバタイユ、フーリエらの哲学書などを手がける。また、美術専門学校である「美学校」の設立を主導し、既存の美術大学における教育に一石を投じるなど、類稀なるプロデュース力を全面に渡って発揮。

* 1974年、現代思潮社を退社後、芸術や土方巽などとの舞踏関連の著作を続けながら、言葉による即興のライブや、トーキングなどを実践。

* 1980年以降、灰野敬二や小杉武久との競演を境に、美術家や舞踏家との競演によるライブパフォーマンスを行う。

* 1996年、十二指腸潰瘍で倒れ、1998年には脳梗塞、つづいてパーキンソン症候群を患い、車椅子生活を余儀なくされる。この身体の不自由は、川仁が実践しようとしていた自らの即興性を大きく損ねることとなり、ライブ活動を事実上停止することになる。

* 2000年頃から車椅子や揺り椅子に座ったままでのライブパフォーマンスを再開したが、2003年2月、肺炎を悪化させ亡くなった。享年69歳。

* 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/03/02 14:30 UTC 版)

https://www.weblio.jp/content/%E5%B7%9D%E4%BB%81%E5%AE%8F

『反芸術アンパン』赤瀬川原平(ちくま文庫)

美術家であり芥川賞作家でもある赤瀬川原平が、1960年代前半の日本の前衛芸術シーンとその熱狂を描いたノンフィクション・回顧録。

「アンパン」とは熱狂の舞台となった「読売アンデパンダン展」の略称に由来している。

本書の概要と時代背景舞台は、読売アンデパンダン展:出品料さえ払えば誰でも無審査で作品を展示できた伝説的な公募展である。

「反芸術」の誕生:従来の「きれいな絵画や彫刻」を否定して、絵の具の代わりに廃財となったガラクタなど、自らの肉体を使った表現が次々と飛び出した。

生々しい当事者記録:著者の赤瀬川自身が出品作家や目撃者として、内部からその熱気をユーモラスかつ客観的に記録している。

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《主な登場人物とエピソード》

前衛芸術家たちの群像劇:吉村益信や荒川修作、篠原有司男ら「ネオ・ダダ」の面々や、のちに赤瀬川らと「ハイレッド・センター」を結成する高松次郎、中西夏之らの奇行と情熱が活写されている。

不確定性のハプニング:展示室の床を砂利で埋め尽くす、作品を展示せず会場で奇妙な行動をとるなど、のちの「ハプニング」や「パフォーマンス・アート」の源流がここで培養されていく。

美術評論家・瀧口修造の存在:若き前衛芸術家たちを温かく、かつ鋭く見守っていた精神的支柱・瀧口修造との出会いや交流も描かれている。

〈1994年に筑摩書房から出版〉


2026年8月 1日 (土)

浜津守の著書『美學校発 ガロ経由 ガンダム行: アニメ芸術の誕生と未来』(七夕社)

浜津守の著書『美學校発 ガロ経由 ガンダム行: アニメ芸術の誕生と未来』(七夕社)


アニメーション演出家としての歩みを綴った自叙伝です。

美學校での学びや雑誌「ガロ」周辺の文化を経て、『機動戦士ガンダム』などのアニメ制作に至るキャリアと業界の裏側を描いています。日本のサブカルチャー史における貴重な証言として以下の内容が収録されています。


美學校時代: 赤瀬川原平などに師事して、芸術の概念や表現の基礎を学んだ初期のキャリア。

「ガロ」経由: 伝説的な漫画雑誌「ガロ」の時代背景と、そこからアニメーション業界へ至るプロセス。

ガンダムとその後: 『機動戦士ガンダム』『伝説巨神イデオン』へのアニメーターとしての参加、『To-y』や『鎧伝サムライトルーパー』の監督業についての回想。

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2026年7月12日 (日)

新美の巨人たち 日本橋マジカル・ミステリー・ツアー!画家・山口晃が描く空想の街

【新美の巨人たち】日本橋マジカル・ミステリー・ツアー!画家・山口晃が描く空想の街 

https://share.google/z6Z9narzTjLcNnllF

日本橋に巨大な太鼓橋が出現?老舗百貨店の屋上が楽園のように!街に積み重なった歴史を想像力豊かに描いてきた画家・山口晃さん。

街歩きをテーマにしたマンガ作品を発表しました。

山口晃さんが筆と墨とペンで紙の上に顕現させた“あらまほしき街角”を、画家のしわぶき先生と書生の三吉くん、下宿人のトシ子さんがゆく。東京やロンドンの街並みを眺め、電柱や階段や道路の美を玩味し、歩き、走り、乗り物に乗り、地形をたどり、記号化から逃れて景観そのものを見つめ、語り合う。現実と幻想と古今が交じり合うマンガ『趣都』。「電柱でござる!」「日本橋ラプソディ」「乙な階段」など12話からなる愉悦のなかでも、山口さんがペンと水彩で描いた《百貨店圖 日本橋 新三越本店》をもとにした見開きの一枚絵は圧巻である。


動画「マンガ『趣都』山口晃」

https://share.google/fTV9MuaUY0XrkiedS


その画の世界さながら日本橋を巡って楽しむアート旅。意外な視点から都市の持つ美しさが浮かび上がります。


新美の巨人たち 日本橋マジカル・ミステリー・ツアー!画家・山口晃が描く空想の街

放送局 テレビ東京

再放送(BSテレ東) 2026年7月18日(土)23:30~深0:00


【画像】話題の展覧会&平等院襖絵公開が12/2(日)まで! 画家・山口晃氏にロングインタビュー!(Walkerplus)

https://share.google/SpWLO3PKIHYi334fx

2026年4月26日 (日)

『美學校発 ガロ経由 ガンダム行:アニメ芸術の誕生と未来』(七夕社/ペン銀舎)

アニメ監督・演出家の浜津守(はまつ まもる)氏による著書、『美學校発 ガロ経由 ガンダム行:アニメ芸術の誕生と未来』(七夕社/ペン銀舎)を指しています。 

この本は、浜津氏のこれまでの歩みやアニメーションに対する思想をまとめた一冊です。タイトルの通り、氏のキャリアの原点や影響を与えた要素が凝縮されています。

* 美學校(びがっこう):浜津氏がかつて在籍した、赤瀬川原平氏らが講師を務めた伝説的なオルタナティブ・スクール。

* ガロ:独創的なマンガ作品を数多く輩出した雑誌『月刊漫画ガロ』。

* ガンダム:浜津氏が演出として深く関わった『機動戦士ガンダム』シリーズ。

2026年3月に刊行されたこの書籍では、赤瀬川原平氏ら美學校時代の恩師へのインタビューや、自身の代表作である『鎧伝サムライトルーパー』『機動戦士ガンダム』などの制作秘話を通じて、アニメを「芸術」として捉え直す試みがなされています。

https://koinu2005.seesaa.net/article/520264249.html?seesaa_related=category

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2026年3月28日 (土)

『美學校発-ガロ経由-ガンダム-〜アニメ芸術の誕生と未来〜』浜津守(七夕社)

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 『美學校発-ガロ経由-ガンダム-〜アニメ芸術の誕生と未来〜』浜津守(七夕社)

【本書内容】
現代アートへの関心
インタビュー●美學校
教師には向いてない美術家・赤瀬川原平/菊畑茂久馬 松山俊太郎/木村恒久/美學校の出身者たち
コラム【トマソン】
インタビュー●『ガロ』編集 コラム【長井勝一さんと『ガロ』について】
コラム【現代詩について】
インタビュー●アニメの世界へ

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🔘スタジオムサシ/スタジオコクピット サンライズ/ガンダム班
コラム【記号化しないアニメの登場】
インタビュー● メモ【一九七八年頃】

アニメーターからアニメ演出家に

 

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【著者紹介】『機動戦士ガンダム』『伝説巨神イデオン』にアニメーターとして参加後、『巨神ゴーグ』から演出家に。代表作は『To-y』『鎧伝サムライトルーパー』『アルスラーン戦記』『ガラスの仮面』など。

大手前大学メディア・芸術学部教授として後進の指導にもあたった著者の自叙伝。
そしてアニメ業界を目指す若者たちへアドバイスと、アニメーションについての可能性を様々なメディアから語る。

新しい表現として、アニメーションをとらえたい人には、映像としての広がりを体現されていただきたい。

【Amazonサイトから】

https://amzn.asia/d/0d82XAen

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