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神話こそ、この宇宙の無尽蔵なエネルギーが、人類の文化現象に流れ込む、秘密の入口である
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◆ギリシャ十字法 ◆円占い  ◆ケルト法
生命の樹にえがかれた22 の径
大アルカナ虎の巻となる図形

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Tora3

Tora3

 天界で永遠に存在する和音に気づかないのは、われわれの耳がそのたえず続く妙音に対して無感覚になっているからで、ちょうどナイルの急流近くに住む人たちがつんざかん騒音に慣れて、耳に入らないのと同様である。〈マクロビウスの『スキピオの夢註解』〉

 現代日本における、音、言葉、記号たちの急降下してゆくような氾濫によっても、何がどのように隠されて不可視になっているのだろうか。
 
 各惑星が出す一つの音が天界の調和の音楽に寄与して、天球を音楽でもって表す包括的な全音階を、一篇の詩の構成要素も宇宙の秩序を反映する全体を重ね合わせるだろう。
 天界の調和の音楽は人間の魂の内に存在しているが、われわれはそれと知ることができない。
 調和の音楽は、聞こえないけれども人間存在の最も奥深くに潜在しており、われわれが宇宙のより大なる調和の音楽にあずかる。
 ルネサンスにあって、詩とは最高天の神々しい一致をはっきり知覚でぎる「天球の歌う音楽」を反響させるべきものだった。
 美は、芸術を宇宙を表すイメージにしようとする意図をもって展開された。把握でぎない神々しいパターンがもつ久遠の美を具体化した伝統は、プラトン派を通して聖アウグヌティヌスへ、そしてプラトンの『ティマイオス』に記録されている。それは数で音階を表したピタゴラスの教義にまで追及してたどることができる。

 五官とその知覚法についての含蓄に富む議論の中でティマィオスは、われわれが天球の調和の運動を観察し、次にその天界の模範によりわれわれ自身の内にある調和を調節するために、視覚が人に授けられたという。聴覚は、人の諸能力の位階にあっては視覚より少し低いけれども、同様の目的のためにわれわれに与えられた。その結果、聴覚を対象とする芸術たる詩と音楽は、天界のこの秩序あるパターンを表現するという義務を負っている。

 聴取可能な音を用いて和の調べにあずかるように授けられた音楽は、われわれの内なる魂の循環運動と同族の運動をする。
 知覚者と芸術作品と観念化された自然という概念と,神そのものとが連鎖し、直結した関係に立つ。
 物語は読むことにより、自然界の美の中に具体化されている諸事実が分かり、世界の創造者の慈悲深い意図と恵み深い属性を抽出することができる。
 心は天界の方へ、上へと向けられないと、芸術には無関心である。
 思考を宇宙観照の方へ向けるのが芸術の果たす機能なので、詩は宇宙論に付属するものとなる。

 宇宙構成法、われわれの世界の組立てられ方である。それは環境の基礎をなす諸構成要、原子、人間の感覚与件、知覚、エネルギーの束、電磁場、プラトン的な意味でのイデァ、ピタゴラス派の定義した数、特性、実在の固有な諸要素を措摘し、相互関係を定義する事にある。
 文化、時代に、美学において、芸術と宇宙論の間には関係がある。
 必然的に、芸術作品とそれが思い切って註釈を加える実在との間にも何らかの関係があるのは避けられない。
「非理性的な快楽追求」程度であってはならぬ。芸術は自然に鏡をかざす以上、どのように定義されようとも、必然的に自然のデータを扱う。
 
 物質界は(上へ順に)石、植物、動物を含み、概念界は(下へ順に)神と天使を含んでいた。人はつなぎであって、物質界と概念界のものを共に一つの存在の中に保持し、両者いずれにも赴ける手立てを備えていた。人間は、文字通り、連鎖の決定的な環である。

 芸術も物質界と概念界のものを相互に関係づけようとする試みで、植物の生える大地から神の脚台に至る無限の連続体を動き回る人間の広範囲の経験の記録となることができる。
 人間は、英知とはっきり表現する能力とにより自然界の下位のものに優る。ある面では、天使たちよりも上位を占めているのであって、霊界内に限られ、ただ神の身代わりとして行為者の人間に影響を及ぼすことによって物質界で動くことができるだけである。
 天使たちが肉体を備えないために直接話法に制限され、芸術表現を禁じられている。人間は人工の産物によって神の最高天の真実を触知できるものとなしうる。神より授けられた理性の産物たる芸術作品は、事実上、人間の最高の業績である。そして言語は、神の贈り物についてのルネサンスの順位では理性のすぐ下にある以上、詩は芸術の中で人間の最高の業績となるのである。
観察された事物から選択し、われわれの宇宙観についての何らかの類の意味ある提示でもってそれらを配列しようとする試みは、神話と一致する触知可能な再現とも、神学の延長たる教訓的なものとも、あるいは自然科学の客観化された自然に取って代わる娯楽ともみれる。

 天使は神の身代わりとして、
 行為者の人に影響を及ぼすことによって
 物質界で動くことができるのである。

唯一なる奇跡の成就にあたり、下なるものは上なるもの、上なるものは下なるもののごとし。
万物が「一者」の考察によってあるがごとく、万物はこの「一者」より適応によりて生ぜしものなり。
「太陽」はその父にして、「月」はその母、「風」がそを己が胎内に宿し、「大地」が乳母となる。
それは万象の創造の父である。
「大地」の上に完全たり、「大地」に向かえば「大地」より
「火」を分離し粗大なるものより精妙なるものを分離す。
大賢をもって、「大地」より「天」に静かに昇り、再び降る。
優れるものと劣れるもの、その力を二つながら受け入れん。
汝、全世界の栄光を我がものとして、暗きものはすべて飛び去らん。
万物の最強のものなり。
あらゆる精妙なるものをも圧倒し、あらゆる固体に浸透せん。
こうして世界は創造され、指摘されし驚くべき適応の源。

           ヘルメス・トリスメギストス『エメラルド・タブレット』より


人間は小宇宙であるから、人体の比例、大きさ、調和というものは宇宙と類似している。
神殿、劇場、船、機械などは人体を模倣して造られた。
ノアの箱舟はその一例だったといわれる。

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